フエタロさんの日記です。

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横浜山手聖公堂教会堂が火事に。

毎日新聞ニュース(http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kanagawa/news/20050105ddlk14040184000c.html)より引用。

4日午後6時10分ごろ、横浜市中区山手町の教会「横浜山手聖公会」から出火、鉄筋コンクリート造りの教会の内部、約460平方メートルが焼け、木造の屋根もほとんど焼け落ちた。
(中略)
教会は横浜市認定歴史的建造物。初代教会は1863年、英国人が英国政府の援助を受け建設。1901年、現在地に移転した。23年の関東大震災で教会は倒壊。その後、米国の建築家、J・H・モーガンによって設計され1931年、現在の教会が完成した。北欧風のゴシック様式で、3階建ての塔を持ち、外壁には大谷石を使用。45年の横浜空襲では被害を受けたが、修復された。

僕が建築ウォッチングに興味を持つきっかけになったのが、10年ほど昔に横浜の紅葉ヶ丘にある県立音楽堂(前川國男設計)の保存運動と、卒業研究の題材とした横浜市における歴史的建造物の保全事例を選び、その当時取材に訪れた関内や山手の建築の数々に生に触れる面白さを味わったからだった。この山手聖公堂にも足を運び、歳月を経た大谷石のテクスチュアの重厚さと温かみを教えてもらった気がする。
そんな古い思い出のある建物が今回のような放火の痛ましい被害にあって、どんなに建築物が堅牢で永続的に思えたとしても、人為的災害や天災、あるいは経済的要請・老朽化といった人的要因による解体という危機にあえば容易にその姿は失われてしまうのだという当たり前の事をまざまざと見せつけられた。
失くしてしまうことはとても簡単だけれど、それを再び取り戻すのは必ず叶わない。それを忘れた都市に歴史は何も残さない。
勿論、古い建築物を残すという事にはさまざまな困難がある。新築と比較した場合、容積率や設備の効率はいうまでもなく、修復に伴う高度な技術・高価なコストは評価の定まらない建築物に対しては容易に調達可能なものではないのだから、無限定に全ての建築物を保全すべしとは決して云えないけれど、それでも長い時間を経て多くの困難を潜り抜けた歴史ある建造物を守っていく事を忘れたくないとか、このニュースを聞きながら色々考えたり。
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罹災後の教会堂。現地を訪れた烏鹿さんの撮影による。
RC造の躯体と大谷石張の外壁は全焼を免れたようだ。太平洋戦争の戦火を浴びても修復され、現代に受け継がれた地霊の宿ったこの教会が再び晴れやかな姿で見られる事を切に願う。

ちょっと後悔。

実は数ヶ月前から、せっかくデジカメを買ったので、久しぶりに横浜を訪れて関内や山手を撮影して廻りたいと考えていたけれど、微妙に遠い距離と日々の忙しさに伸ばし伸ばしになっていたのだった。それがこういう結果に。後悔先に立たず。