フエタロさんの日記です。

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ジブリプロレス新章開幕!!

宮崎駿氏の新作発表での発言のあまりの酷さにあきれた。以下http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070320-00000020-spn-entより引用。

宗介のモデルは宮崎監督の長男吾朗氏(40)。吾朗氏が昨年、「ゲド戦記」で映画監督デビューしたことを、宮崎監督は自分への反抗ととらえ、「こんなことになったのは吾朗が5歳の時、仕事ばかりで付き合っていなかったからだ。二度と吾朗みたいな子をつくらないために」と反省の気持ちを込めているという。

まぁ優れたクリエーターが必ずしも人格者であったり良い父親であったりするはずもなく、寧ろそうでない事の方が多いのかもしれないけど。ただし、ここまで大人気ないというか人の親としてみっともない発言が、はたして本人の発言なのか某プロデューサーあたりの仕掛けたプロレスなのかは判らんけどな(笑)。
あとゲド戦記を見てどちらかというと反抗というよりは駿作品へのリスペクトが感じられたんだが、それは初期ハヤオテイストであって、引退撤回以降のグダグダなアレやらコレやらへ対する当てこすりといわれればそうなのかも。とすれば親子というよりはスタジオの跡目争いの話であって、なにも5歳児まで戻らんでもという気がする。

補足。

ちょっと後段が意味不明気味なので書き足す。ゲド戦記における吾郎氏の作戦はいわば古典ハヤオ主義とでもいうべきもので、後継者探しに難航し勝手に老骨に鞭打つハヤオに対して、あえて血縁者でなければ躊躇するであろう掟破りのカードを突きつけた*1と僕は解釈している。
ある意味後ろ向きだし、決して世間の評価は好評とはいえないにしろ、細田守にも成しえなかった今後のジブリの方針のひとつを形として見せるという難事業を遂げた男に対して5歳はねぇだろう、と。
まぁシニカルな見方をすれば、集団作業が大前提となる商業アニメーションにおいて、宮崎・高畑の個人スキルにその存在意義の大部分を依存するというジブリの特殊性は、混迷を極める現代のアニメ界において、東映・Aプロ・テレコムと続いた匠の技を伝えるファウンデーションたりうる継続性をどこまでも拒否しつづけるより他なかったということだろう。
というか細田と新海の新作だけ見れれば他のアニメなんかどうでもいいというのが本音な訳ですが、だから僕は。

*1:裏で鈴木Pが糸を引いてるとかどうかはまた別の問題として